るじょーむ(平成14年6月号)
対談シリーズ

対談シリーズ第一回目は、とちぎ夏まつり実行委員長 佐藤雄造さんにお聞きしました。

Q : 今年から夏まつり実行委員会が変わったそうですが?

A :

 従来は、市長が実行委員長を兼ね、商工会議所会頭、副会頭その他の人々が各部署を固め、その下に市、会議所、JCなどが割振られてきちんと組織ができていました。どちらかと言えば、“官”寄りの組織だったのですが、今年は、他の市町村に有るように民間型にしようと言うことで、民間のボランティアによる組織となりました。組織への参加予定は、JC、商連青年会、YEG、その他、街づくり活動団体などです。これからはいってくると思いますが、個人ボランティアも、踊りの専門家もいます。夏・秋まつりを検討するまつり検討委員会では、“もっと安く(予算を少なく)、皆が簡単に参加できる様に”、“おどりを中心にしたまつり”との意見でまとまりました。その意見に従った計画を立てています。
Q  今年の夏まつりは、実施しますか。実施するとすれば、どんな内容ですか?
A   実施する方向で動いています。警察の許可、5/24に開かれる夏まつり実行委員会に市長、会頭、警察関係者を来賓として招いて、見ていただいて理解を得たいと思っています。まだ、許可が得られていないので動けない状態です。現在計画しているのは、1チーム10人以上のチームを作ってもらって、おどりを中心とした祭りを考えています。実施日は8/11(日)を予定してます。おどりは何でも結構で、参加者は栃木市民に限定せず、市外、県外、海外でもOKです。特定のチームを招待する事は有りませんので、参加チームが無いと祭りはできません。大通りを4〜5区画に区切って、各区画毎におどりを披露してもらいます。1チーム最長5分位を考えています。舞台は予算が無いので、作りません。寄付がたくさん集まれば作ります。今回の夏祭りの予算は、300万円を予定しています。内200万円は市よりの補助、残り100万円は、民間からの寄付に期待しています。広く市民から集めたいですね。
Q  夏まつりを実行するに当たっての問題はなんですか?
A   やるまでの問題と言えば、警察の許可がでるかという事。参加チームが有るかという事。95%やれると思っています。30チーム位の参加を希望しています。
Q  栃木商工会議所青年経営者会(YEG)の夏まつりでの役割はなんですか?
A   実施時は、警備を担当してもらいたいと思っています。また、実施までは、まつりPR、寄付金集めに対する意見、実際の活動をしてもらえれば、有り難い。
Q  今後、とちぎ夏まつりをどのように広げていきたいですか?
A   3年計画で考えています。取り敢えず今年はやってみる。予算も少ないし、最初なので、小規模になると思います。3年後には、完成に近い型になるのではないかと思っています。将来は、ボランティアをしたい人達が自由に実行委員会の役員になれるようにしたいですね。“オレがやってやるよ”、“オレにやらせてみろ”という人達が入ってこられる祭りにしたい。“栃木のまつりに行くと騒げるから行ってみよう”という雰凶気を出したい。
Q  市民への要望は?
A   参加して下さい。見てみて下さい。若い人たちにやらせてみましょう。もちろん、老若男女みんなの祭りですが、祭りをやりたいのは、若い人だと思うので、認めてあげましょう。若者中心の祭りになると良いな。若者は若さを爆発、そうでない人は、熟練の技を爆発させれば良いと思います。中心はあくまでも、若者。実行委員会も若い人でやっていこうと思います。
Q  今後の予定は?
A   6月から参加チームの募集。6月中に参加者会議。7月からまつりのPRを中心とした活動をしていきたいと思います。
初めて市民の手作りの夏まつりを企画する佐藤さん。民間で実施しようとすると、今までに無かった色々な問題がでてくる様です。問題を一つずつ解決しながら理想に近づくように頑張っている佐藤さんでした。
Q  最後に一言
A   “皆さん一・緒に楽しみましょう” 

聞き手      副会長 酒巻幸夫
広報委員会委員長 中田  武
5月20日:オーベンにて


県青連第9回総会開催さる
kennrennsoukai.jpg (12604 バイト)  去る5月21日激zテルニューイタヤにおいて栃木県商工会議所青年部連合会第9回会員総会が開催されました。総会では通常の議事を原案通り可決し、平成14年度の会長は日光地区YEGの西岡一明氏が就任しました。栃木YEGの栗原会長は県青達では副会長として活動します。総会終了後研修会が行われ、栃木YEGにはなじみの明治大学助教授戸崎肇氏が「地方分権における若手経営者のあり方」と超して講演を行いました。50歳までが会員ということに多少戸惑っていたようですが、企業、人材、情報が再び東京に集中しつつある中、地方(地域)における経済活動にいかに付加価値を付けていくかということについて、笑える裏話を交えながら語ってくださいました。講演の最後に「やはり人です」と縮めくくっていました。

副会長 酒巻幸夫


青春の一頁
 よく幕間だけ歌舞伎座に『勧進帳』を見に行った。 二丁によって片シャギリにかかり木なしで幕があく。舞台は一面の置き舞台。松羽目の上手に臆病口、下手に五色継子の揚幕。花道突き当たりにも同じ揚幕。雛壇には長唄連中が三升紋付の上下。笛のあしらいになり、下手揚幕から富樫左衛門、中啓を持ち摺足で出る。『斯様に候う者は加賀の国の住人、富樫の左衛門にて候。さても頼朝義経おん仲不和とならせ給うにより・・・』歌舞伎十八番『勧進帳』の魅力は数限りなくあるが、私は“滝流し”に魅せられてしまっていた。いつかはあの長唄連中のように弾きたいと願っていたところ、縁あって、稀書家義丸先生・稀書家義之先生ご夫婦にご教授して頂く事となった。ところが観ると演るとでは大違い。初めての三味線で『さくらさくら』がやっと、5分も座ってはいられなかった。その内『末広狩』『鞍馬山』と弾けるようになり、3年後にはやっと夢がかない『綱館』の脇、4年後には『勧進帳』の立て三味線を弾かせていただくまでになった。顧みればあの頃が我が青春のハイライト。あの頃の事を思い出すたびにえもいわれぬ音色と足のシビレと青ずっぱい想い出が蘇る。

総務委員会 鈴木徳次郎


知られざる食の“薀蓄”
          
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 私は栃木駅南口近くにて飲食店を営んでおります、レストランオーペンの平野貴之と申します。
 さて、「食にこだわる」ということですが、今回は生ビールについて、しかも「泡」にスポットをあててお話ししたいと思います。
 これからの時期、渇いたのどに生ビールをゴクリ!最高ですよね。ところで、この生ビールの「泡」、何で出来ているのでしょう?正体は炭酸ガスの気泡に麦芽の蛋白質、イソフムロン(ホップの苦味成分)が膜を形成したもので、ビールに欠かせないホップの苦味を含む、旨みの要素でもあるわけです。さらに、この「泡」はビールから炭酸ガスが逃げるのを防ぐのと同時に、ビールが空気に触れて酸化するのを防ぐ、重要な役割を果たしているのです。
 さて、ここで「泡」と上手につきあいビールをおいしく飲むコツをご紹介しましょう。くちびるで泡をそっと押し迫けてその問から飲む。そして、泡を最後まで残すのが、ビール通の飲み方。泡がなくならないうちに飲みきれるサイズで楽しむことが肝心です。もちろん、グラスの洗浄や生ビールの鮮度も大切です。グラスが汚れているだけでも、キメ細かい泡が出来ません。したがって、お店選びも大切なコツだと思います。あっ!もちろん当店はバッチリですよ。
 この夏はぜひ、「泡」でおいしい生ビールを楽しんで見て下さい。

街づくり委員会 平野貴之


プロジェクトY
今、大平町にある日立製作所は栃木の経済人が誘致したと言っても過言ではない。
 第二次世界大戦前の栃木市は、一言でいうならば問屋町であり高利貸資本の町であった。近世・明治以来の米穀商や肥料商・荒物商・麻問屋などの老舗が軒を並べており、商都として繁盛していたが、その一方で工業の進展は殆どみられなかった。また、周辺の農村も平坦地であり美田が多く、工場の設立は困難であった。 しかし、栃木商工会議所は栃木市の将来の発展にとって工業誘致が重要であるとの判断から、市当局と協力して先進地の視察や日本絹撚株式会社(群馬県桐生市)の分工場誘致運動などを推進したが思うような成果はあがらなかった。そこで昭和十四年工場誘致委員会設立し、群馬県や東京都の先進工場を視察するなどの活動を展開した結果、昭和十七年に至り日立製作所多賀工場の分工場の誘致に成功したのであった。
 日立製作所の創立者で社長の小平浪平は隣村都賀村合戦場の出身であり、日立製作所は地元に記念になるものを残したいという考えをもっていた。そこに偶々多賀工場が海軍より機銃の大幅増産の命令を受けその分工場を物色していたことから、栃木市と栃木商工会議所の要請を受け入れ進出を決定したのであった。栃木市が提供したのは市の南方瑞穂・水代・富山三ケ村にまたがる約五六万坪の土地であった。地主との買収交渉は順調に進み、昭和十八年五月十五日に起工式を執行い、戦局の逼迫する中工事は昼夜をわかたず続けられ、翌十九年四月より操業を開始するに至った。
 栃木分工場はその後昭和こ十年一一月に多賀工場より独立し、また空車の激化とともに亀戸工場の冷凍機製作課が疎開し、その部門も縦承した。そして戦後は日本経済の進展とともに急成長をとげ、現在は県内屈指の電化製品メーカーとなっている。

 

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